アマチュア無線の日本の歴史

日本の初期

日本では1925年頃から東京、大阪、神戸で活動が始まりました。1926年6月には38人によって日本アマチュア無線連盟(JARL)が設立されました。

日本でのアマチュア無線の始まりは大正末期の1927年です。日本でのアマチュア局は「私設無線電信無線電話実験局」として許可されました。当時の日本の電波は、国家が監視していたので国家掌握されていました。無線局の全てが「官設」「私設」の二分類のみで、当時の日本の電波関連法には「放送局」のカテゴリーはなかったので、NHKの放送局といっても「私設局」のひとつだったので、アマチュア局と同等扱いでした。日本でアマチュア無線が完全に「非営利私的学究無線」と位置付けられ、その活動そのものに権力の介入を許さないものとして独立して、「アマチュア無線」の呼称になったのは、太平洋戦争後に新たに制定された現行電波法からです。

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第二次世界大戦

大正から昭和に元号が替わってからの日本では、「私設無線電信無線電話実験局」も国家総動員体制に組み込まれていきました。

各地で「無線義勇団」「国防無線隊」が結成されていきます。1941年には「私設無線電信無線電話実験局」は、330局になっていました。しかし、1941年12月8日の真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦になり、その日から「私設無線電信無線電話実験局」の電波発射は禁止されました。その日以降、アマチュア無線家は技術・技能があるがために、最前線の通信隊や国内での軍用通信機の設計・製作に終戦まで従事させられることになり、悲しいことに、アマチュア無線家が帰らぬ人となってしまいました。。

第二次世界大戦後

太平洋戦争が終わるとすぐに、生き残ったアマチュア無線家によって、アマチュア無線の再開運動が始められました。その運動には、八木秀次(電気工学を専門とする工学者で、宇田新太郎と共に開発した「八木・宇田アンテナ」の共同発明者としてとても有名)も運動に参加していました。

戦争当時、国の完全掌握にあった日本の電波ですが、戦争終了後は全てはそのまま占領軍の完全掌握下とされていたので、アマチュア業務用の周波数についても占領軍およびその関係者のアマチュア業務用として占有されていました。

GHQは日本語で行われる通信内容の検閲が困難ということもありますし、米ソ対立、朝鮮戦争といった理由もあった為にアマチュア無線の再開を認めることはありませんでした。日本のアマチュア無線はサンフランシスコ平和条約が発効して、国際法でも連合国との戦争状態が終結して、日本が完全に主権を回復した1952年にようやく再開されることになりました。(1950年に日本で施行された電波法で「アマチュア局」という名称が初めて使われ、資格制度や国家試験の内容も定められましたが、実際には1952年になるまで再開できず、ようやく1952年に30局で再開しました。)

当時から国際条約によって、電波監理は主権国家によって行われることになっています。これは、今日の国際電気通信連合憲章にも記載されています。国防に関しては、軍用無線設備について国家は完全な自由を保有するという内容があるため、太平洋戦争ということもあり、そして敗戦のため主権を喪失し、さらに終戦まで国によって全ての電波が掌握されていた日本では、独立を回復するまで再開できなかった理由です。同じ敗戦国のイタリアでは直後に再開されましたし、西ドイツでも1949年に再開されたので同じ敗戦国でも、大きな違いでありました。アマチュア無線に限りませんが、この教訓は戦後新たに定められた電波法やその関連法に反映されることになり、それが現在に至ることになりました。(ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を突破し侵攻して、チェコスロヴァキア全土を占領下に置いたチェコ事件がありました。もちろんソ連はチェコソロヴァキアの放送・商業通信を全て統制しましたが、政府当局の厳しい監視をかいくぐり、スパイさながらに事件を世界中に伝えたこともありました)

1959年、電信級・電話級の初級資格が設置されました。1966年にはこれが養成課程講習会の修了試験合格者にも与えられる、というようにハードルが低くなったためにアマチュア無線家の爆発的な増加につながりました。その後、高度経済成長と、科学技術に対する国民の高い関心を背景として、日本のアマチュア無線は発展して、1970年代には「趣味の王様」と呼ばれるほどの大ブームになり、1980年代には米国を抜いて世界最大のアマチュア無線人口になりました。

現在

今現在の、アマチュア無線は直接的に広く実用できる新しい無線通信技術などを次々と開発して世界に提供するという部分での役目は終えていまが、しばしば争奪戦が繰り広げられるほど貴重な資源である周波数のうち、多くの周波数が今日においても、自由に使うことのできる「周波数帯」としてアマチュア無線に割当されているのは、学究目的であるアマチュア無線が、今日でも科学技術に従事する人材の継続的育成に大きな役割を果たし続けているということにあるといえるでしょう。

事実、電気・情報分野の第一線で活躍している科学者や技術者の中には、現役で楽しんでいる人や元アマチュア無線家が多くいらっしゃいます。大規模な商用無線通信業務を行っている会社でも、アマチュア無線クラブがあります。(電話会社や各放送局のアマチュア無線クラブなどは、その規模も大きい。)

アメリカでは、公共サービスとして地域パレードでの通信を担っていたりと、趣味の範囲を超えて運用されています。米国では開拓時代から現代までボランティアが大きな役割を果たしているので、ボランティア活動にアマチュア無線が貢献してきたことから、国際法でのアマチュア無線の定義の範囲を超える運用(臨時に・無償で公衆網を接続し有線通信の無線中継局とするなど)を国内法で認めています。ちなみに米国のアマチュア無線家の全国団体はアメリカ無線中継連盟 (ARRL: American Radio Relay League) といいますが、ボランティア活動のための通信を中継して広い国土に伝えるために、アマチュア無線家を組織化したことに由来しています。

1980年代にはアメリカを抜いて世界最大の無線人口になった日本ですが、1995年を境に日本のアマチュア局は減少に転じました。1995年には約135万局ありましたが2009年には約47万局と激減。現在も減少傾向です。

減少した理由についていくつかの理由が考えられます。

  • 少子高齢化による自然減。
  • 携帯電話の登場と普及によって、携帯電話の登場以前にアマチュア無線を簡単な電話代わりで使っていたアマチュア無線家が廃局した。
  • 無線通信にはそれなりの設備が必要で、遠距離通信を達成しようとすればするほど大がかりで複雑なものになります。手軽に多目的に使えるインターネット普及によって、見知らぬ相手や外国人と交流したい人は、その掲示板やチャット機能などを利用するようになった。

秋葉原を中心に日本各地に存在したアマチュア無線関連の専門店が多数閉店し、家電販売店も収益の上がらないアマチュア無線部門から撤退していったため、機器を購入したり、目にする場が減りました。そしてアマチュア無線用機器の生産・販売数が減ってしまったことから、必要な機器価格が上昇してしまい、アマチュア局開局のハードルが昔より高くなってしまっている状況です。

アメリカのアマチュア局数は、1990年頃からしだいに減っていき、1994年には約65万局となっていましたが、その後再びじわりじわりと増えてきて来ます。2009年には、約69万局と過去最高数になりました。2005年以降、10代を中心に若年アマチュア無線家の増加がはっきりしてきていることもあり、ARRLでは現在、「静かなブームになっている。」と分析しています。また欧州各国の状況も、横ばいか少しですが増加傾向にあるそうです。

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